『味覚メディア』研究における社会実装の工夫|宮下芳明教授 明治大学

『味覚メディア』研究における社会実装の工夫|宮下芳明教授 明治大学

はじめに

こんにちは、HAL編集部です。今回は人間拡張技術の研究に取り組む研究者および大学・大学院教授の方を対象としたインタビューを発信します。今後も、人間拡張領域の研究開発を行う方々へのインタビューを掲載予定です。

本記事に掲載する内容は、インタビューした当時の内容を元に構成しております。インタビュー対象者の個人情報や研究内容などに対し、当社の許可なく転載や盗用、第三者機関への利用・譲渡などは一切禁止しています。掲載内容に対しての質問・お問い合わせは、当社編集部までご連絡くださいますようお願い申し上げます。

宮下芳明教授のご紹介

様々なマスメディアにも登場し、2023年にイグ・ノーベル賞(栄養学)を受賞してさらに世間の注目を集めている宮下芳明先生へのインタビューが叶いました。減塩食の塩味を増強する食器「エレキソルト」を始め、先生の研究やテクノロジーの社会実装についてなど、研究内容に留まらない内容を対談形式でお送りいたします。

プロフィール

宮下芳明  Homei Miyashita, Ph.D.
明治大学 教授
総合数理学部 先端メディアサイエンス学科 学科長

研究室ウェブサイト

イタリア国フィレンツェ生まれ。千葉大学にて画像工学、富山大学大学院にて音楽教育(作曲)を専攻、北陸先端科学技術大学院大学にて博士号(知識科学)取得、優秀修了者賞。2007年度より明治大学に着任。

【受賞】
CG映像作品で2006年 eAT (electric Art Talent)アワードグランプリ(匠賞)受賞。ゲーム作品で2008年度芸術科学会展特別賞、第3回中山隼雄記念財団賞を受賞。

味覚提示技術については、2019年 キヤノン財団 研究助成『理想の追求』採択(研究代表者.研究題目「健康的な食事を化学物質なしで満足な美味しさに変える電気味覚技術」)。2020年 総務省「異能vation」に採択、「味わうテレビTTTV(Taste the TV)」を開発。これまで提唱していた「味覚メディア」「テレテイスト」「テレイート」を具現化した。2021年 第24回文化庁メディア芸術祭で「味覚メディアの夜明け」が審査委員会推薦作品に選出。デジタルコンテンツEXPO2021でInnovative Technologies 2021 Special Prizeを受賞。電気の力で減塩食の塩味を増強するスプーンやお椀「エレキソルト」をキリンホールディングスと共同開発、Innovative Technologies2022を受賞した。2023年 情報処理学会 情報環境領域 功績賞を受賞。イグ・ノーベル賞(栄養学)を受賞。

主な最新研究

味を自在に操る「味覚メディア」の研究を多くされています。主に、電気味覚を利用するもの(エレキソルト、TeleSaltyなど)と、味溶液をプリンターのように混合するもの(TTTV1/2/3など)があります。

【参照】
明治大学宮下研究室 論文データベース
明治大学宮下研究室 YouTubeチャンネル

『味覚メディア』研究の社会実装事例

まずは、イグ・ノーベル賞の受賞、おめでとうございます!受賞されてお気持ちはいかがですか?

受賞の知らせが来たときには驚きました。イグ・ノーベル賞を目指したこともないですし、どういう賞なのかもあまり知らなかったので慌てて調べたぐらいです。そうすると、面白おかしいメディア報道とは逆に、極めて意義のある賞であることがわかり、賞を受けた次第です。

賞状がとどいたのですが、そこにはこの賞の創設者 マーク・エイブラハムズ氏と、3人の「ノーベル賞」受賞者(リチャード・ロバーツ氏 (1993年 ノーベル生理学・医学賞)、エリック・マスキン氏 (2007年 ノーベル経済学賞)、マーティン・チャルフィー氏 (2008年 ノーベル化学賞))のサインがなされていました。

イグ・ノーベル賞の表彰状

そして、米国マサチューセッツ州ケンブリッジにあるMIT博物館のホールで行われた対面祝典に参加したのですが、受賞者・関係者に奇人変人は誰一人いなくて驚きました。受賞者同士が互いの研究について議論するパネルディスカッションも行われ、異分野の研究にも興味をもつ柔軟な研究者たちであること、そして全員トークがうまいことが浮き彫りになりました(笑)。科学の面白さを伝える語り部としての役割を担える人が選ばれているんじゃないかとすら思いましたね。

【参照】
受賞ニュース『イグ・ノーベル賞を受賞した宮下芳明MIMS所員(総合数理学部教授)が対面祝典に参加

 イグ・ノーベル賞 授賞者集合写真 

今回受賞された研究は、どのようなものなのでしょうか?

受賞したのは13年前からはじめた研究で、当時大学院生だった中村裕美さん(現在は東京大学大学院 特任准教授)と発表したものです。論文タイトルは「Augmented Gustation using Electricity」、食器に電気を流して食体験の味覚を拡張しよう、という研究です。宮下研究室が味覚メディア研究を始めた最初期の論文だといえます。それ以降も続けていた味覚メディアの研究や社会実装の事例を紹介できる機会ができて嬉しく思っています。

この『味覚メディア』の研究について、社会実装の事例を教えてください!

キリンホールディングスの商品「エレキソルト」ですね。微弱な電流によって減塩食でも濃い味に感じられる食器です。新宿のハンズなどで体験会も行っていましたので、いよいよ発売間近だと思っています。

キリンホールディングス株式会社の商品「エレキソルト」

私たちは2019年からキリンホールディングスと共同で研究を行っていて、その成果として減塩食の味わいを増強させる独自の電流波形を開発しました。減塩食を食べたときに感じる塩味が約1.5倍程度に増強されるものです。これを搭載することで、塩を半分にカットしたラーメンでもおいしく食べられます。

Electric Salt: Tableware Design for Enhancing Taste of Low-Salt Foods

社会実装と言えば、“先端技術の社会実装の遅れ”については、我々も常に考えている大きな課題です。宮下先生は研究成果を上手く社会実装されていらっしゃいますが、その成功要因は何だと思われますか?」

研究者が論文を発表しても社会に普及するのは数十年後というのが常なので、こんなに早く社会実装に繋がったのは奇跡だと思っています。研究内容を頑張って広報し続けたから、早めに企業の目に止まったのかもしれないなと思っています。

僕のXアカウントは1.7万人近くフォロワーがいます。研究室のウェブサイトやYouTubeの閲覧者数も増えてきました。「宮下や宮下研究室をフォローしていれば新しい知見やアイデアをいち早く知ることができる」と思っていただけているからだろうと思います。この期待に応えるために、積極的な研究広報や、質の高い研究動画配信を目指して頑張ってはいます。

【参照】
宮下芳明教授 X(旧Twitter)アカウント
明治大学宮下研究室 YouTubeチャンネル

電気味覚研究については、最初は特に面白おかしくマスメディアに取り上げられることも多かったのですが、幅広い方々や企業と対話を続けていくなかで学びも多く、その結果、「減塩食を美味しく食べる」というユースケースにたどり着けたのだと思っています。

「確かに、宮下先生が発信される研究内容は、生活者にとってもその活用イメージを想起しやすく、見ているだけでワクワクします。減塩食の塩味を増強する食器『エレキソルト』以外に、企業と共同研究されているものはありますか?」

最近は、株式会社NTTドコモ、H2L株式会社とともに「相手の感じ方に合わせた味覚を共有する技術」を開発しています。

【参照】世界初!6G時代の新しい価値を提供する「人間拡張基盤」に味覚を共有する技術を開発 | NTTドコモ

味覚共有のビジョンを映像化したテレビCM「あなたと世界を変えていく。(フィールテック・味覚共有篇)」を見ていただくとわかるのですが、スプーン型のデバイスを用いて彦摩呂さんが食レポするブイヤベースを、綾瀬はるかさんがテレビを見ながら疑似体験する映像になっています。

「あなたと世界を変えていく。」 フィールテック・味覚共有篇 30秒

僕は学会でプレゼンすることが多く、そこに参加する研究者たちを触発したいがゆえに、ぶっとんだ未来やたくさんの事例を連発することが多いです。テレフォンやテレビジョンと同じだという意味合いでメディア史に位置づけようと、味を伝達する技術を「テレテイスト」と呼んだり、食糧問題や人類の歴史と関連づけた話を織り交ぜることも多いです。

たとえば、岐阜県の味噌汁の味をリアルタイムで東京に送るという実験をやったりしていました。

【エンタテインメントコンピューティング2021】TeleSalty:リアルタイムで塩味を伝える通信システム

また、画面を舐めると味が伝わる「TTTV」を発表したときには「味見できるメニュー」など、たくさんの事例を列挙して見せています。

TTTV: 味わうテレビ、誕生。

ただし、一般向けにはもっとビジョンをシンプルで洗練させる必要があるとは思っていました。

CM制作会社との議論で、たくさんの未来像がそぎ落とされ、最終的には、(1)テレビでの食レポを味として体験できること、(2)味見してから通販できること、のふたつの未来像が選ばれました。テレビやスマホといったメディアと共存し、日常生活にできる限り近い光景として味覚共有の世界を見せ、「今より便利で楽しそう」と思ってもらう…まずはそこに焦点がしぼられたわけです。

また、このCMを見て個人的に感動したのは、15秒版と30秒版の編集ですね。15秒版では前者に絞り15秒でも理解できるようになっています。そして30秒版では、ふたつの事例をとりあげているにも関わらず、ひとつのストーリーにしてあることです。

どんな大事なビジョンであっても、人々に伝わらなければ意味がないです。そのための学びを提供するエピソードなように思います。

”どんな大事なビジョンも人に伝わらなければ意味がない”というのはまさに仰る通りですね。他にも面白い共同研究があれば教えてください。」

はい、三井物産株式会社との共同研究は、とても面白かったです。それほどご縁のない業種のようにも思えましたが、三井物産株式会社はデジタルトランスフォーメーション(DX)の文脈で未来の「食」のあり方に注目していて、その流れで声をかけてくださいました。コートジボワール産とペルー産のカカオには何倍もの価格差があるのですが、この違いを埋めることは可能か?というお題を向こうからいただきました。ありがたかったのは、チームにカカオの専門家やパティシエさんがいらっしゃったことですね。プロのノウハウも入れることで、再現度は非常に高くなり、我々の学びも多かったです。

産地の異なるカカオの味の違いを定量化し純物質で再現する方法

実は「高級な食べ物を安く再現」という錬金術的なストーリーは、誤解を招きそうなので何年間もずっと避け続けてきたコンセプトでした。ただ、一般の方々に伝わりやすいユースケースでしたね…。今では、もっと早く着手すれば良かったかなとすら思っています。おかげで僕の考え方も変わり、さらにわかりやすい事例になるだろうということで、安いワインを高級ワインと同じ味にする研究を自分たちでやりました。

【WISS2023】ボトル装着型調味家電TTTVinを用いたワインの味再現

「これまでのお話を伺うと、コンタクトをとってくるのは企業からの方が多いのでしょうか?」

おかげさまで割合でいくとそうですが、私たちからコンタクトをとったものもあります。

私たちは「可食レンチキュラレンズ」という、見る角度によって色が変化するレンズを、透明なゼリーなどで作る研究をしていました。とはいえ、この技術を活用してどんな料理が作れるのか、そのユースケースを生み出せないままでいました。

そこで、私たちの方からフレンチレストラン「élan vital」に連絡をとり、こうした技術があるがなんとか料理にできないかと打診しました。もともとここは「5Dレストラン」をうたっており、プロジェクションマッピングや分子ガストロノミーなどを用いて新しい食体験を追求していたので、興味を持ってくれるだろうと期待していました。「élan vital」シェフの深作直歳氏と藤原俊城氏は僕の想像以上に柔軟でクリエイティブで、なによりも行動力あふれる方々でした。厨房にはたくさんの工作機器があり、より良い食体験を生み出すためなら、皿すらも作ってしまう人たちだったんです!すぐに試作品を作ってくださり、それを洗練させるために、学生たちと一緒に試行錯誤できる仲になりました。

フレンチレストラン「élan vital」にて。左から、シェフ藤原俊城氏、総合数理学部4年生 吉本健義さん、総合数理学部 宮下芳明 教授、シェフ深作直歳氏。

おかげさまで今月、ついに可食レンチキュラレンズを利用した「レンチキュラーサラダ」がレストランで提供されるようになりました。見る角度によって富嶽三十六景の凱風快晴と神奈川沖浪裏へと絵柄が変化します。

可食レンチキュラレンジデザインシステムの提案

「『味覚メディア』という研究を軸に、ここまで多様なユースケースを創出されていて驚きました。いよいよ2024年も近づいてきましたが、来年以降の予定や抱負があれば、教えてください。」

キーワードは3つあります。「AI」「味のタイムマシン」「調味食器」です。

「AI」についてですが、すでに今年(2023年)の夏に発表したTTTV3にAIによる味推定機能がついています。マイクに向かって食べたいものの名前を言ったり、スマホで写真を見せるとその味を推定して出してくれます。味見して違うところがあれば、それを指摘するとまた改善案を出してくる。これによって、味センサでは測定不可能な「思い出の中にしかない味」を具現化することもできています。来年はこれを大規模に進化させた技術を提案する予定です。

TTTV3 (Transform The Taste and reproduce Varieties): 産地や品種の違いも再現する調味機構と LLM による味覚表現

次は、最近発表したばかりの研究ですが「味のタイムマシン」ですね。食べ物が熟成する過程を味センサで測定することで、たとえば作りたてのカレーを数日後の味に変えたり、逆にそういうカレーを作りたての味に戻せたりできるようになりました。ここまで味を自在に操れるなら、もはや「賞味期限は死語にできる」と思っています。

Taste-Time Traveller:食品の時間を操る味覚AR装置

最後は「調味食器」ですね。綾瀬はるかさんのCMでもあったように、味覚メディアはできる限り軽量小型になることが理想で、家電よりは食器に近づけたいと思っています。なぜかというと、食の好みは個人ごとに違うからです。味のタイムマシンと調味食器を融合させたChronospoonというプロジェクトをはじめたので、その成果が2024年のうちに出るといいなと思ってます。

テクノロジーが社会実装されるためには-HAL考察

閑話

今回のインタビューでは「味覚技術においてどのようなユースケースが想定できるだろうか?」と考えながら宮下先生の話をお聴きしていました。本来食べられないものや懐かしい味、すぐには食べられない料理を再現できること、そして私たちが普段得ている情報に”味覚”という要素を加え、新しい体験ができることなど、この技術の無限の可能性を感じました。この技術はエンターテイメントとして楽しむ以外にも、食品ロスの軽減はもちろん、摂食障害などにまつわる様々な事象にも寄与できるのではないかと考えます。

社会実装を加速させるヒント

宮下先生のお話を伺い、私たちが重要視した課題はやはり『社会実装に繋げる方法と速度』でした。

「エレキソルト」を一例に挙げると、大手企業とのコラボレーションはもちろん、YouTubeや各種メディアを上手く活用し、研究内容の発信に力を入れたこと、特に”テクノロジーを使って味を変えずに減塩ができる”というキャッチ―なメッセージが多くの人の心を掴み、社会実装へのニーズを広げたのではないかと思います。

多くの人にとって、味覚技術の複雑な説明よりも”減塩できる食器”の方が実生活に置き換えて想像できます。そしてそれは「=宮下芳明教授、=キリン(キリンホールディングス株式会社)」という世間の認知に繋がるでしょう。話題になった研究は、研究者の方々にとっては数ある研究の中の一角かもしれませんが、世間での認知を広げるためには「◯◯=自分」のアイコン化が研究者にも必要なのかもしれません。

これまでも先進的なデバイスが世の中に沢山出てきましたが、それらのスペックと実際の使用感のバランスがユーザーに受け入れられず、消えていったものもあります。新しいテクノロジーやデバイスは、ユーザーによって使いこなせる度合いに違いがあり、これがボトルネックになる場合も少なくありません。

目新しいものは消費者の目を惹きやすいですが、しばしば「一過性のエンターテイメント」として消化される傾向が見られます。持続的に使われるためには、目新しさを超えて、コストや使い勝手、実際の利点を如何に生活に溶け込ませるかが最も重要です。

テクノロジーを社会実装に繋げるには、「キャッチーな情報発信」「具体的で目に見えるプロダクト」など、ショーケースに並ぶだけでは伝わらない魅力も積極的に伝えていくことが必要ではないかと私たちは考えます。研究者の方々にとっての本分は研究であり、論文を残すことが重要なことに変わりはありません。だからこそ、私たちはそれらのテクノロジーが1年でも早く社会実装へ繋がるよう、様々な道を開拓し続けることが責務となるでしょう。

【画像引用】
~おいしく生活習慣の改善!世界初※1の電流波形を搭載した新たな「エレキソルト」デバイス~電気の力で、減塩食の塩味を約1.5倍※2に増強するスプーン・お椀を開発(PR TIMES)

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